福山のとんど@相撲取りの家


小学生の時から、それは中学校まで続いたことだが。

福山のとんどは楽しみだった。
短い春休みの唯一の遠出をする楽しみだった。

(遠出とは、茂平を出て町へ行くという意味)



福山に行ってもパターンは決まっていた。

まず福山城に行く。天守閣はなかった。(それは僕が高校3年生の時に再建された)「

次に天満屋に入る。まだ二階建ての天満屋だった。そこでエレベーターに乗る。エレベーターは近辺では天満屋にしかなかった。

次に映画を見る。そして映画館を出たら汽車に乗って大門駅まで帰り、そこから歩いて茂平までかえる。そういうパターンの繰り返し、毎春のこと。


ある春休み、福山で良やんとであった。

とんどにあわせて大相撲の巡業を福山の中央公園でしていた。母と別れ良やんと歩いた。
良やんは「相撲取りを見よう。」と通町(トオリチョウ)の相撲取りの家の前で止った。

当時福山の相撲巡業は大店に分散して泊まっていた。関取の名前が1〜2、ふんどし担ぎが5〜6人。その名を店の前に貼りだしていた。

良やんと二人その店の前に立つ、そして待つ。
良やん「待っていれば、〇〇(関取の名)が来る。」

実際そうであったろうが、いつ来るかわからない関取を待つのにもくたびれる。

ついには待ちきれなくてそこを後にした。



中央公園でしていた大相撲の巡業は筵掛けの青天巡業だった。
お金をだしてそれを見る、そういう事は想像をしたこともない。





2002年4月21日

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