踏み切りの彼岸花


毎日行き帰りに渡る用之江の橋本屋近くの踏み切りの蒸気機関車は大きかった。それは大門駅で見る停まった汽車もまた大きかった。


学校の行き帰りは必ず踏み切りを渡っていた。

踏み切りに信号はなかった。
鉄道は上下併せレールが4本あった。このあたりまえの事が長いこと疑問になっていた。

踏み切りは用之江の橋本屋の前で、現在ある踏み切りよりはすこし西側だった。
列車は客車も貨物もすべて蒸気機関車だった。

レールの敷石の上には散った紙などがある。これは当時、汽車の便所は垂れ流し式だったので。
だから鉄道のまわりは汚かった面もある。

秋になると田圃道にも咲くが、鉄道沿線に咲く彼岸花は見事なまでにレールに続いていた。


大人たちは、茂平への帰りはアメリカ屋の前の踏切をとおっていた。これがいくらか近道だったが道路から谷間になり汽車が、その場でないと確認できなかった。

僕がレール4本を不思議に思っていたのは、子供なら誰でも画く汽車の絵には2本のレールしかないことであった。

生まれてからずっと用之江の踏切を渡る僕にとってレールとは4本あるものだ。と、ずっと思っていた。


2002年3月16日


お召し列車を見送りに



小学校の2年生の頃の時、天皇陛下のお召し列車を見に行ったことがある。

学校で小さな日の丸の小旗を持って・・・自分達で作ったのか、既製のものを渡されたか?それは忘れた・・・、先生に引率されて踏み切りの近くで列車を待った。

毎日間近に見る煤にまみれた汽車と違い、黒い汽車は光輝いて見えた。
汽車の前面に日の丸が見えた。

列車はあっというまにとおおって行った。

これはなんだったのだろう。
城見小はそれほど小さい学校だから。

限りない田舎の小学校の生徒であることを意識したものだった。

2002年6月23日

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