『銃後の守り』


2000年12月15日毎日新聞「女性誌に描かれた20世紀」より


作家・大仏次郎に「我々はここまで低劣だったのか」と嘆かせた『主婦の友・昭和19年12月号」

太平洋戦争末期の44年、日本は負け続け、本土への空襲で、学童疎開が始まった。この時期に出た同誌12月号は、特集「これが敵だ!野獣民族アメリカ」を載せた。


粗悪な紙質、わずか52ページの薄い装丁だけに過激さが目立つ。巻頭記事に「日本人を殺せ、それが奴らの合言葉だ」
「奴らの残忍酷薄、貪婪驕慢(どんらんきょうまん)の事実を直視せねばならぬ」「ルーズベルトが戦争の張本人だ。この悪魔奴を叩き殺せ!」などと憎しみをあおる言葉が続く並ぶ。「アメリカ人をぶち殺せ!」「アメリカ人を生かしておくな!」のスローガンも全ページに躍った。


大仏次郎は「敗戦日記」にこう書いた。「我が国第一の売れ行きの女の雑誌がこれで羞しくないのだろうか。日露戦争の時代においてさえ我々はこうまで低劣ではなかったのである。」

同誌は本社が空襲にあっても30万〜40万の発刊を続けた。
「主婦の友社80年史」は、同誌44年12月号と大仏次郎の日記を紹介し、こう記している。「狂気の時代の誌面として、あえて社史の一ページに残す」





2000年12月16日