渥美半島で米軍上陸を阻止する? 


姫路にいる時、本土防衛のため隊長と二人偵察にまず渥美半島にいった。

「名古屋に残ってとれ。」といわれたがすぐ部隊を連れてきた。

渥美半島の南側に来る日も、来る日も穴を掘った。

それも掘るもんがない。『ええ木が無くて○○で掘った。』(作者記・この部分、笑いながら言ったのでわからない。よほど、当時としても情けない道具だったようだ。)

穴の中に大砲を据え、そこから角度により空、それも高度により角度が違うが。
また、水際でくい止めるんで海も狙っていた。それも距離により砲の角度が違うが・・・・そわぁなことはむちゃくちゃじゃった。

とにかくトンネルを掘れぇ。


戦争に負けたんで使う事は無かったが、・・・(つかえる代物では無かった。)・・。



1999・12・3



米軍の本土上陸作戦は2段階で構成されていた。

『オリンピック作戦』 1945年11月1日 南九州進攻計画
            宮崎・志布志湾・串木野より上陸。

その4ヵ月後

『コロネット作戦』 1946年3月1日 関東進攻作戦
           本隊は関東東海岸、西攻撃部隊は相模湾、欧州からの部隊は九十九里浜。
           
このコロネット作戦は米軍の太平洋部隊・本土部隊・欧州部隊さらに豪・加・英・仏の四カ国参加の計画でノルマンディー上陸作戦をうわまわる「史上最大の作戦」であった。



2001年1月6日