千人針の話


(母の話)


戦争が激しゅうなると(千人針を)しつきょうた。


回覧版の感じで家から家へ持ち回りしていたのか?


(国防婦人会のような)集会の時、そこで次から次へ(何人分も)針をいりょうた。


虎年の人は強いゆうて何針でもいりょうた。
今でも虎年のひとはみな元気じゃ。

駅や役場の前にはどこへ行っても並んで女性に頼んでいた。
すぐ終わるんで針をいれとった。


赤紙で召集の人はすぐ野戦へ行く人が多く、(気の毒な意味を含め)今で言う共同募金のようにして協力しょうた。
乙で徴収の人も同じじゃった。


賀山の本家にゃ。
もう30歳を過ぎとったが取られて、2〜3ヶ月の訓練だけしてベトナムへ行く途中船ごと沈んで死んだ。(赤紙がきて3ヵ月後に戦死、三人の子と妻が残った)


賀山じゃ家と、七日市駅と両方で見送りをしとった。


千人針の参考資料⇒西宮市のHPより



2002年12月23日