肋膜の話 (母の話)


賀山には・・・賀山とは母の実家の土地名だが、ここでは母の兄のこと・・・肋膜になった。


作者記・伯父は岡山師範学校を出て教員をはじめたが、更に上の学校を希望して東京の農学校・・今に置き換えると、筑波大・・に進学した。


夏休みが済んで、学校に戻ろうとしたら、身体がだるいゆうて、ご飯がたべれんようになって。
ほれで井原の小田病院で診てもろうたら、肋膜じゃゆうて・・・・そいでなぁ、入院しとったんじゃ。

だいぶ長しゅう入院しとったんじゃ。

戻って遊びょうた。せぃこそメジロを獲ったりしょうたが、アレぁチャレンジ精神が旺盛じゃたんで
字がへたなんで女学校の先生、(稲木からきょうた)に習字をなろうたりしたり、編物をしたりしょうた。

それでいまだに編物をする。縫いもんでも時分でする。一年遊んだけぃ。そわん事をしょうた。


命にゃかえられんので。一年ひまがいったんじゃ。おそうなってしもうた。


ひどうならなんだけいエかった。



盛装した結婚前の母の家族




2001年6月17日





病気のリンク 「ひろこの同い年」 「結核で死ぬ」 「コレラで死ぬ」 「茂平に赤痢がまんえんし」