茂平に赤痢がまんえんした (母の話)


あんなに伝染病いうのが怖いもんかという事を知った。

ウチではおばあさんと、利三郎じいさんがなった。その頃保険所は無いんで役場から二〜三人きて土間や便所や畳に粉を撒いた。

(長女の)ひろ子を背おって隔離所までいきょうた。お腹には(長男)おさむがいた。

出何処は隣のカーさんじゃったが、カーさんは直った。
茂平だけでなく大宣ではひろ子の同級生の○○さんのお母さんがなって、死んだ。
○○さんは一番勉強がよおできていて、いいところに嫁にいった。今でも会うことがある。

赤痢は福山の愛ちゃん(父の弟の嫁)の妹にまで移り、女学校に行っていたが死んだ。

2001年1月3日