2011年8月31日   水曜日     米子散策 ⇒   安来散策 ⇒  広瀬町  ⇒  鷺の湯温泉  ⇒  自宅 
島根県安来市広瀬町   5:54〜7:59   9:54〜11:00     11:36〜13:56    14:08〜15:09   17:50 



いったん舗装道に出た、すぐ次の登城道の案内が見えている。




この登城口が、おわん状の月山の登山口。



上の写真に見える案内図を写すと↓、このように「山中御殿平」のすぐ下に位置している。














大手門の石垣。

戦国時代の山城、圧倒するような迫力がある。









大手門を登りながら軍用井戸の跡が見える。













大手門を登りきると正面に山中御殿平の石垣がある。










山中御殿平には山中党の他、城主尼子氏の城館もあったそうだ。

とにかく広い。











これより本丸に向かい登城する。そこから見る山中御殿平のほぼ全景。
















山中御殿平からは「七曲り」と呼ばれる山道がつづく。

ひたすら山頂への道。









ついに発見「マムシとハチに注意」の標識。













山道を抜けると三の丸の石垣郡が現れた。







これが三の丸・二の丸の石垣。





ところが・・・・

三の丸への石段を登っていたら、にゅるにゅるにゅる、ヘビが出てきた。



やむなく、三の丸・二の丸には行かず迂回することにした。









すぐに本丸に着いた。

山頂の本丸は広かった。









本丸にも山中鹿之介の石碑があり、

尼子家を祀る神社があった。



この神社常夜灯(左側のは)ハチの住み家となっていた。










本丸から飯梨川を望む。広瀬の町や京羅木山。




天文12年(1543)大内・毛利軍が京羅木山に5万の軍勢で陣を張ったという説明が書いてある。

当時の尼子氏は7か国の戦国大名で、大内毛利軍を撃退している。





その後、最大11か国200万石の戦国大名となったが、永禄9年(1566)毛利軍に攻められ落城した。








本丸には、このようにモミジの大木があった。







では月山富田城から降りて行こう。





つぎ・月山富田城へ登城B

    2011年8月30日         2011年8月31日    
七類 ⇒  美保関   ⇒ 境港  ⇒    米子   ⇒ 安来  ⇒  広瀬     
 9:30頃    11:30頃    15:00頃      7:00頃    10:30頃    13:00頃    
                           













2011年9月3日