2011年6月20日   月曜日   午前11:30頃
笠岡市西大島前砂  (一部・浅口市寄島町柴木)


高校の友人Yくんは前砂の出身。



東京に住むYくんに、

故郷の今の画像を何枚かページにして送ろう。









早乙女(年齢が苦しいかな?)が苗の補足をする前砂の棚田↑。







「前砂の辻堂」。












食べ頃をちょっと過ぎた感じのユスラウメ、でもまだ美味そう。















前砂の民家。

前砂は谷間の村。














棚田が峠までつづく。











観定峠。

前砂の人は単に「峠」(たわ)と呼ぶ。












峠から下る。




元大島村で今は寄島町の「柴木」地区。




孝子・甚介で有名な柴木。

甚介は備前岡山藩主池田光政から「百姓のお手本」と、ご褒美を頂いた人。



ちょっと思うに、

当時備前岡山31万石の領地が備中国・大島中村まで含まれていたのだろうか?


でもまあ柴木に、

孝子が出るような風土であることは充分感じられた。








再び前砂に戻る。


ゆるやかな前砂の棚田。













東京のYくん、

きみの故里は田も山も今、青々している。














阿正谷池から見る前砂。





阿正谷池には上流から水が滝となって入っていた。


















これは土生にある大島公民館からいただいた本「おおしま風土記」。






準備運動の後で公民館の方から、この本と大島88ヶ所霊場の地図をもらった。


話せば「お姉さんが(えいちゃんと)同級生よ」と。

うん、思い出した。



想い出したけど、その頃のえいちゃんは女性とは口もきけない程の恥ずかしがり屋で、

彼女と会話した思い出が無いのが残念じゃわ。





つぎ・金光












2011年6月23日