2011年5月18日   水曜日   バラ園P  ⇒   庭瀬・撫川 ⇒  木堂 ⇒  バラ園   ⇒ 五重塔 
岡山市北区庭瀬・撫川    9:30    9:49〜10:41    11:30頃    12:02〜12:35    13:10頃




庭瀬は江戸時代には2〜3万石の城下町いうか陣屋町。












地の利がよく、、水運・海運あり。庭瀬往来・鴨方往来の陸路あり。金比羅参りの人の流れあり。















高札場跡。













水郷の町・庭瀬。












通りには古い尚家あり、近代の家あり、マンションあり。













この観音院もかつては「会陽」が行われていたそうだ。
















交通の要所だけに道標や常夜灯が多い。


この常夜灯は足守川に在った。


」」


その足守川の土手に上がってみる。






これが足守川。むこうの丘は早島の流通センター。











ところで、庭瀬と撫川の区分いうか境界がよくわからない。


倉敷寄りが撫川で、岡山寄りが庭瀬である、程度にはわかる。









ここは撫川。












撫川城跡。




典型的な沼城、

毛利方勢力の東側いうか、織田方との最前線。



備中高松城と同じく、「境目7城」の一つ。




元城内は真ん中に神社あり、その周辺は芝生の広場。







撫川城の前も公園。

















この民家風の建物は「撫川うちわ」の製作所。






言葉だけは有名な「撫川うちわ」。

マンホールの図柄もうちわ↓。





とは言え、




「撫川(なつかわ)うちわ」は一本、1万円もするそうだ。



製造が始まった江戸時代からすでに「実用」よりは「土産品」だったようだ。










かつては物資の運搬や農家の川船が行き来した庭瀬・撫川の水路。

今の船の役目は川の清掃いうかゴミ拾いだろうか?










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2011年5月21日