2011年2月3日 木曜日 | 乙子城址 | ⇒ | 芥子山 | ⇒ | 倉安川吉井水門 | ⇒ | 宇垣一成生誕地 | ⇒ | おさふね温泉 | |
岡山市東区吉井 | 10:10頃 | 10:47〜12:14 | 13:20頃 | 13:44 | 15:00頃 |
ではこれより倉安川吉井水門の「一の門」に下りて行く。
備前岡山藩主池田光政時代、津田永忠の土木史跡。
ここから吉井川の水が「用水」として「運河」として導入した。今から300年前のこと。
一の門から入った水は、そのまま倉安川に流れることもあれば(倉安川)
いったん二の門で止められることもある、それが高瀬舟を運行さす倉安運河の機能。
この写真は二の門を出た倉安川。
一の水門は道路ができたので純粋な史跡で、二の水門は用水としての現役。
一の水門の取水場があったであろう場所から見る吉井川。
その場所から土手道に戻る、そこから見る瀬戸内市長船町。
いっぽう現在の倉安川の取水場「大内樋門」。元の場所から50mほど上流側にある。
こういう「倉安川吉井水門」だった。
「世界遺産」というには、あまりにあつかましい史跡と思う。
「世界」をいう前に、「日本」でも「岡山県」でも、そして「岡山市」でも知名度がない。
津田永忠の関連施設「後楽園」「閑谷学校」などとセットで申請しているようだが、役人のお遊びでないことを祈る。
ところで、
この運河というか川は毎年6月ごろに地方ニュースで報道されるそうだ。
それは、「吉井水門」でなく「吉井の水車」。
この水車が田植え時分に大活躍。それが映像になるそうだ。
しかも、水車のまわりには落ち着いた和風の古い民家が並んでいる。
それにも一つ。
この写真は倉安川で洗濯をしているおばさん。
えいちゃんも子供の頃は、川で洗濯する光景はよく見たことがあるが
成人になってから後、こういう川で洗濯するのは初めて見た。
その洗濯姿が川の流れや周辺の田園風景とよく似通っていた。
2011年2月5日