2010年7月9日   金曜日 笠岡IC 谷瀬の吊橋 熊野本宮大社 勝浦港 ホテルうらしま
奈良県十津川村〜和歌山県 7:40 13:10ころ 15:40ころ 16:52 17:26〜(泊)





笠岡から6人が乗って総勢42名、読売のバスツアーは一路南紀へ向かった。


















岡山の吉備SAで休憩し、次の休憩地の西宮名塩SA。



(西宮名塩SA)


この頃はまだ雨は降っていなかったが、



高速道は大阪府から奈良県に入り、葛城ICで降り、奈良県の国道を市街地から山に(南に)向って進んだ。






奈良県の五条市くらいからほぼ全山が山という道になった。




その山の間に十津川が流れ、十津川に沿ってある国道168号線をバスは走った。











「道の駅・吉野路大塔」で休憩、この時にはすでに雨が降っていた。













国道168号線は一度行ったことがある四国の剣山の国道に似て、狭く山峡の道だった。
















そして最初の観光地「谷瀬のつり橋」に着いた。



この時には、すでにどしゃ降りの雨だった。











どうすっかなあ? えいちゃんも歩いて渡ろうかなあ? やめとうかな?








じつは、・・・・・・・この橋を渡ることには旅行の前から悩んでいた。





とゆうのは、・・・・・・えいちゃんは高いところが苦手いうか、根性なしいうか、まあぼっけいきょーていからね。




ずっーーーと、気にしていた。










長さ297メートル (渡る長さは往復で594m)



高さ54メートル



橋の下には清流・十津川が流れる。






(渡りきった対岸より)








じゃあーーーーん、豪雨をものともせずにえいちゃん谷瀬の吊橋を渡る。














すんなり、えいちゃんは歩いて(余裕で)橋を往復した。






その訳は・・・・・、といえば。


バスの中で飲んでいた酒が効いた。気分が大きくなって恐怖心がまったくなく十津川の流れを鑑賞しながらの吊橋散歩だった。






他のツアー客の多くは、橋を1/3くらい歩いてから引き返していた。












日本一大きな村という奈良県の「十津川村」。

奈良県のいちばん南に位置する。




この橋は昭和29年に村人たちがお金を出し合って完成した生活ようの吊橋。 








当時、学校の先生の教員の初任給が7800円。村人たちは一戸当たり20万円の寄付を出し合って800万円でこの吊橋を完成させたそうだ。





(陳情いっぽんの現代と違い) その互助精神を伝え残す記念碑のような吊橋と言える。








つぎ・熊野本宮大社

読売旅行旅行福山営業所「大洞窟温泉忘帰洞のホテル浦島と谷瀬のつり橋」














2010年7月11日