2010年6月30日  水曜日 フジグラン 正戸山 服部大池 グランの湯
福山市神辺町・御幸町・駅家町 14:05 14:34 15:25 16:22〜




正戸山山頂の御統監の記念碑。














昭和5年11月、


陸軍特別大演習は岡山県の後楽園を大本営として、




岡山県浅口郡金光町の八重山にて東西両軍が激突した。












東軍は歩兵第10連隊(岡山)で、現在の総社市内で隊を整えて八重山へ向かったようだ。



西軍は歩兵第41連隊(福山)で、この神辺平野で隊を整えた。

その様子を天皇はこの正戸山からと、御幸中学校の隣の山からとで「統監」したみたいだ。














西軍・歩兵第41連隊が金光の八重山へ決戦に向かう行列を見た父は、少年期の娯楽として非常に思いで深かったようだ。


父の話では、城見小学校の前の道を行進しているのを見物したそうだ。





この時の陸軍大演習では、決戦地八重山に出発しようとした浜口雄幸首相が東京駅で狙撃されるという大事件が起きている。









草ぼうぼうの正戸山から降りてきた。

写真↑のファミリーマート側から登った方がよかったな。




でも、まあ、天皇陛下が登って見た風景はまったく見えない・・・・木も枝も草も伸び放題で・・・・・それが平成22年の正戸山山頂だった。










正戸山以外は目的地はなかったので、次は服部大池にでも行ってみることにした。







県道181号線を西に走る。






中国自然歩道の大きな案内板があった。



(川の手前・北側が加茂町、川の手前南側が御幸町、川を越えると駅家町)





そこが「四つ角」。



この「四つ角」は、どこそこの四つ角という、どこにでもある道の角がれっきとした「地名」になっている。






しかも重要な場所であり、当然地名も知られている。









東に行けば岡山、西に行けば府中の道しるべ。











橋をわたると町並みになる。








それが駅家町万能倉。









この広島県道181号線はたいへん由緒ある街道で、


「駅家町」という地名の元になった宿駅があったところ。




江戸時代には、山陰の石見大森銀山から笠岡までつづく「銀の道」でもあった。


















万能倉商店街からちょっと奥まったとこにJR万能倉駅があった。




映画のロケにでも使えるような可愛い無人駅。





駅前にはちゃんとお好み焼き屋や、元旅館で今・駐輪場もある。















そして高架橋まできた、この橋の道が服部大池への道だったな、確か。




ここで右折して北へ走る。










この↓三叉路は、右折すれば加茂から東城への道。まっすぐ行けば服部大池。





ちょっと前までは交通の要所だった感じで、元・お店が並んでいる。

この付近は駅家町法成寺という地区。











その法成寺にある須佐能表神社。








「深安26神社めぐり」の看板が県道沿いにあり、

そんならついでに寄ってみるかと。


参道の下には集会所もあり、謡の声が聞こえていた。
















拝殿・本殿も堂々としている。


 



そして、なりより



展望がよかった。







須佐能表神社から見る正面風景。





左・蔵王山、右・石槌山。

石槌山の麓には芦田川が流れていて(見えないけど)、駅家町や御幸町の家並みがずっとつづいている。










つぎ・正戸山〜服部大池B














2010年7月2日