2010年2月28日  午前9:54〜11:10
笠岡市今立・広浜・馬飼





広浜の石材店。












広浜を北から南へ向かう。正面に加入堂山。中央に県道と今立川。















笠岡市指定文化財の古墳、の案内板。




では行ってみるかと150m登ったら?








墓地まで道はあったが、そこで道は消滅してしまった。












広浜の荒神さん。

荒神さんの前には札所がある。



広浜には、こういう札所が点在していた。

江戸時代後期の年号が石に刻まれていた。












馬飼に行く。








軽四すら通れないような馬飼のまんかな付近の集落。











広浜から見えていた墓地と神社が並んでいたとこに行ってみよう。









そこに行けば紅白の枝垂れ梅が咲いていた。














墓地から見る虚空蔵山。

山頂がほぼ笠岡市と里庄町の境になる。









墓地の隣に神社があり、その間には畑に梅が満開だった。











そして畑と神社の間には「応神山」の登山口の標識があった。





この神社が応神山の馬飼からのルートのはじまり。

このこと知ったのはおまけだったなあ。









神社と思っていたが「稲荷」さんだった。












稲荷さんから降りていたろ、ここにも祠があった。










そして馬飼の道に戻った。









この辻堂は札所。

馬飼も広浜も札所の管理がよくされている。















大歳神社を過ぎてから、畑からなにやら声が聞こえる。


どうもえいちゃんに向かって呼んでいるようだ・・?





「えいちゃんじゃないんかー!」



あああああ・・・kさん、だった。



(kさんは仕事の主要取引先の人だったが今はもう定年退職されている)





「どっからでもいいから」とkさんが言うのでげしを下って畑にはいっていった。





kさんはケータイラジオを葡萄の枝にぶらさげて農作業をしていた。





生活費は年金と農業。



農業はブドウだけ・・・米も野菜も果物も作っていない・・・で、農業収入は年に40万円ほどだそう。


「一人で農業をするにはこの程度(ブドウ畑が2反)がいちばんいい」と気持ち良さそうに笑っていた。








つぎ・青春18きっぷラン「ありがとう宇高航路」














2010年2月28日