2010年2月21日  午後0:30〜3:50
笠岡市甲弩    「第1回北川史跡・健康ウォーキング」  楠・岡田・山手地区





ここは「東光庵跡」。


尼寺だったところ。



昭和35年頃まで住職さんがいたけど、

今は石垣と土塀が残るだけだそう。











そしてまた「江良往来」を歩く。










江良往来は林の中に入っていった。





今日のイベントのために木の枝をきれいに切り、足場も確保されていた。






その元・道に面して湿地があった。




「新池」というため池があった場所。










そして霊場をみながらして岡田池に向った。

















ここが「岡田池(おこだいけ」。
















岡田池の堤防から見る尾坂川。



岡田池の配水は尾坂川の向こう側の田んぼ。





水は尾坂川の下を通り配水されているそうだ。









旧県道を行く。










阿部山の稜線がきれいに見える。












富士化繊笠岡工場の上の付近、


そこに「木山玄瑞先生医院・寺小屋跡」の碑がある。


もはやこの地は、北川の人にも、甲弩の人にも、岡田の人にも忘れさられた地という場所となっている。





木山玄瑞先生は大阪の適塾で大村益次郎や福沢諭吉と机を並べて蘭学を学び、

長崎で遊学し、

父母の業を継ぐために当地へ帰り医者と教育をしたそうだ。

ここで学んだ人ではビール王・馬越恭平などを輩出した。











「楠の辻堂」。




最初ここにお地蔵さんがあり、

次に辻堂を建て、

昭和7年には北川88ヶ所の札所も兼ねるようになったそうだ。








甲弩の楠(くす)地区は北川でもいちばん南、新山と接している。








尾坂川の土手道を引き返す。

向こうに笠岡市指定天然記念物「岡田の椋木」が見えている。



ここからは、

樹齢400〜500年の岡田の椋木も葉っぱがすべて落葉しているので、その大きさが感じられない。













旧県道に面しているので周知度は高い「岡田の常夜灯」。







常夜灯の正面には「興田中」の彫りものや、

その前面には金毘羅さんの「金」の彫りこみもある。














「茶堂跡」。




金浦の魚を高梁方面に運ぶ人がここでひと休みしてお茶を飲んでいたそうだ。












第1回北川史跡・健康ウォーキングの最後の場所は「耕地整理記念碑」。




現在の美しい北川の田園風景はこの耕地整理記念によってできあがったそうだ。

明治35年から調査がはじまり、昭和3年岡山県知事の認可があり、昭和7年に完成した。








その説明につづいて「解散式」があった。










近所の人たちはそれぞれ四方に帰って行った。


残り半分くらいの人は主催者の方のあとを神護寺まで帰った。






第1回目にしては予想以上にスムーズな運営であり、説明も板についていた。


天気にも恵まれ、参加者もみんな満足そうな感じを受けた。


えいちゃんも、もちろん満足しながら帰った。








つぎ・早島町「不老のみち」














2010年3月4日