2010年2月21日 午後0:30〜3:50
笠岡市甲弩 「第1回北川史跡・健康ウォーキング」 楠・岡田・山手地区
午後0:30神護寺集合で「第1回北川史跡・健康ウォーキング」が開催される。
北川地区は中学校が矢掛町との組合立という関係もあり、
「矢掛本陣マラソン全国大会」への出場者が多く・・・・たぶんそのためと思うけど・・・・昼からの開催。
午前中よかった天候は、午後になっても風もなく汗ばむような日となった。
主催は「北川公民館」と「公民館成人学級」。
12:45公民館長さんの開会式、成人学級からの注意事項があり12:50頃から最初の「神護寺・本堂」の説明がはじまった。
説明するのは住職さん。
神護寺の住職さんがセンベイの差し入れをし、そして本堂を語り始めた。
笠岡市最古の木造建築物。
えいちゃんは、いつもここに来るたびに古さゆえの感動のようなものをおぼえる。
岡山県指定文化財。
神護寺には他に仏像が3体笠岡市指定文化財だが、住職さんによれば「いずれも国宝級です」とのことだ。
次は本堂のすぐ隣のお地蔵さん。
これは「いぼ地蔵」。
お参りすると「いば」がとれるそうだ。
でも参拝者は昭和30年代でおわったそうだ。
その理由は「いぼ」がなくなったから。
そして神護寺を出る。
山手に向かう。
この細い道は「江良往来跡」。
昔、矢掛と笠岡を結ぶ道。
こんな荷車でさえ通れないような狭い道が主要道だったんだな。
尾坂川の木の橋を車が通行する、その北側のとこ。(資料によれば「山手中央橋」という)
そこには溜め池があったそうだ。それが「かご池跡」。
昭和25年、池は埋立てられて、今はごく普通な畑になっている。
甲弩の二大名所である甲弩神社に着く。(もひとつはさっきの神護寺)
池は心字池。
常夜灯は天明8年(1788)
隋神門は宝暦10年(1760)
舞殿は・・・不明というか説明なし。
まず「白狐塚」。
文化時代(1810年頃)このお宮の山に白い狐が住んでいた。
その狐はよく神社を信仰し守っていたが死んでしまった。
村老が憐れんで塚を立てたそうだ。
甲弩神社拝殿前。
笠岡市指定文化財「甲弩神社拝殿」。
笠岡市内の拝殿建築物としてはいちばん古いそうだ。
平成19年屋根の大改修時に宝永7年(1710)であると確認された。
本殿は明治の建造物。
この丸い石の台座の上には大砲の弾がのっていたそうだ。
でも、太平洋戦争中の昭和17年に強制供出されたそうだ。
2010年2月22日