2009年11月23日 午前11:30ころ
笠岡市茂平




父と母の顔を見に茂平の実家に行った。


父も母も元気そうだった。





その帰り道トウガキ畑を見ながら写真を撮った。















大きなトウガキの葉っぱ。





子供のころ。

川でウナギを釣って帰ると、母は必ず裏庭のトウガキの葉っぱを1枚はがしてから、

ウナギを葉っぱでくるんで握り、まな板のうえで釘を打って料理をしていた。














トウガキ畑で遊ぶのは。




蝉の幼虫捕り。

夏休みの夕方、セミの幼虫を捕りに行っていた。

地面の穴から出る、地をはう、木を登る、葉っぱに止まる、その幼虫を見つけて家に持って帰る。

家の柱に幼虫を付けて・・・・・・晩飯を食べて後・・・・柱を見ると幼虫は羽根があるセミになっていた。

毎晩、セミをみる。そして星を見ていた、涼んでいた。















トウガキ畑、白トウガキのこと。




かつて茂平名産というか珍果・干しイチジクがあった。

干しイチジクは硫黄でうむして、天日で干して、人の手でもんで、それを3ヶ月ほど繰り返して冬になる頃糖分が吹き出てきて出荷していた。

干しイチジクになるトウガキは白トウガキと呼ばれていた。

白トウガキは生食としては商品にならなかったが、じつは非常に甘い果物で、えいちゃんが食べるのは赤トウガキより白トウガキが好きだった

しかし、白トウガキから出る汁が皮膚に刺激があり口の両端が切れていた。

それで、秋のえいちゃんは”笑う”ということができない日々であった。













茂平名産・赤トウガキ。




白トウガキは昭和40年代に硫黄ぶんが健康によくないということで生産中止になった。

その頃は日本人もチョコレートやキャンデーなど贅沢なものをおやつに食べるようになり、硫黄のことは消滅のきっかけになっただけと思える。

そして茂平のトウガキはほぼ赤トウガキに統一された。














「ここが茂平ですか? イチジクをわけてください」





トウガキのことでいちばん面白いと思った母の話。


「冬、葉っぱも落ちたトウガキ畑にいたら道端に車が止まった。

車から降りた人が、

”ここが茂平いうところですか?”

”イチジクをわけてください”

と言われてた。」



トウガキは秋でないと熟れまないが、これに似たような過剰な人気が茂平トウガキにはあるようだ。







つぎ・笠岡市立郷土館(シーサイドモール)出張展示














2009年11月24日