2009年11月23日  午後0:30ころ
笠岡市笠岡 シーサイドモール2F 笠岡市立郷土館の出張展示



シーサイドモールの二階、ウエスギの隣で郷土館の出張展示をしているというので見に行った。





前回は笠岡市民会館でもした、その時は見に行って中国新聞のインタビュー受けて新聞に掲載された。




ということで二度目の見物。




仁王堂にあった教会、そのまま中央町に残り、今やこうして歴史的建造物になっている。















高島宮。




高島が世に出るのは明治以降「皇国」になってから、と思っていたけど。

文政時代に既に名勝地だったのだな。










関戸廃寺。



関戸廃寺の出土品。

たしかに天平の匂いが・・・・・いくらかする。










縄文土器。






古いから割れているのではなくて、粗末な焼き物だから割れて欠けているのがわかる。
















嘉永7年(1854年)の笠岡地図。ペリーの黒船来航の翌年だな。





あやしげな地形や道が載っているな。

既に伊能地図(大日本沿海與地全図)が1821年に完成している。

伊能地図は国内でも最高の機密文書であったのだろうな。













西ノ浜の写真。




「大正15年頃の写真で除虫菊を陸揚げしている」そうだ。

左に写っている「製粉製麺工業組合」の建物は今も残る、

小学生の時、雁木に座って写生大会の絵を描いた記憶があるなあ。













これも西ノ浜の写真。



同じく、「大正15年頃の写真で除虫菊を陸揚げしている」そうだ。





たしかに、子供のころたまに笠岡に行くことがあったが西ノ浜の喧噪いうか勢いは感じていたな。

いつもクレーンがうなり、船とトラックが何台かいて、人と荷と素材が駅から見えていた。













「城山の麓」。




城山の麓の道は昭和10年代にできたそうだ。

それ以前の写真。












「金崎」。



茂平と生江浜の山が見えている。

生江浜の山は全山段々畑だな、すごいわ。

大正の9年から県道として金崎の道は整備されたそうだ、それ以前は「難所」だったそう。


笠岡〜福山の陸路はあってないようなものだったのだろうな。








「笠神社の上からみた笠岡の町」。





中央の工場は「敷島紡績」でなく、「福島紡績」でもなく、「笠岡紡績」だそうだ。

明治の笠岡。


でもなんか、えいちゃんが高校くらいの時とわりとよく似た町並みでもあるなあ。








つぎ・紅葉の笠岡(水と緑のふれあい広場)














2009年11月24日