2009年1月10日   午前9:30〜10:40
倉敷市連島町  「都羅の小径」


連島がいつ頃まで島であったのか知らないけど、
陸地になって以後も南の水島側は近代まで海岸に面していたのだろう。


戦争中から後は、完全に「水島」に組み込まれた地域になっている。


水島の一部分としての連島が唯一、独立して「連島」と扱われるのが連島町鶴新田のレンコン畑。




連島はレンコンだけでない、といいうのが「都羅の小径」。










近世までの海辺の連島西之浦は海運や漁業で栄え、
その繁栄の面影が土蔵や神社に残っている。










元海辺の道は複雑に入り組み、その中に古い民家が並んだり点在している。









「都羅の小径」は”小道”でなく、”小路”でもない。”「都羅の小径」
”。









小径をたどるには標識はほぼ無し。


・・・あるのは箆取神社と薄田泣菫生家くらいか・・・・・





当然、「都羅の小径」という道しるべもない。









複雑な近世からの小径は、自分の脚でさがし、見つけ、納得するしか、たどる方法はない。


















つぎ・都羅の小径C箆取神社














2009年01月11日