2007年6月17日  午前10:30ころ
笠岡市西大島 土手尻

町内会の清掃日で、それが終わったのが9:30頃。
今日もまた、笠岡路上観察会発表用の写真撮影にでかける。

でかける先は、土手尻の防風林。






「写真を撮りょうてのか?」

剪定をしてるおじさんが声を掛けてきた。




「ええ、この土手尻の生垣が大好きなんですよ。」


おじさんは、えいちゃんの返答に大変満足したらしくしゃべりつづけた。









「こういう場所は笠岡には他にはありゃあせん、
山陰にある、あれ(築地松)といっしょじゃ。

ここはこっちからも、あっちからも(東西どちらからも)風が吹いてくる、
それで木を植えたんじゃ。300年つづいとる。」






「土手は何回もこっち側(西側)に作り海を埋め立てた。ここは最後の堤防じゃ。」
それで、ここは入植者が家を建てている。

入植者は近くからやってきている。」







「剪定は年に2回くらいしょうる。
コレは(今回の剪定)は法事があるので、それでしょうる。」





おじさんと、脚立と、木の高さを比べると、
この土手尻の防風林の歴史が写真でも解る。



そして300年前からの堤防は、40年ほど前から車も通行するようになった。








「それでも、ここを、
(生垣が)道にはみ出していると文句をいう人がいる。

もう少しで県道が出来る、そしたらここの交通量が半分になるいわりょうる。
・・・・。」


大島の海岸線から笠岡に行くには入江か土手尻をとおる。どちらも狭い。
県道が完成すれば、ここは生活道に変わる。





狭い道である前に、
生垣の「文化財」としての価値を笠岡市も、そして地元大島公民館も発信していない。そこの方が寂しい。



もし土手尻の地区の人が、ばっさり、300年の樹木を切り倒したら、
見てみぬフリをするだけなんだろう、なあ。



つぎ・笠岡の踏切前編@ABC














2007年6月18日