2007年4月29日 午前7:30〜午後7:55
島根県大田市   読売旅行岡山・「現地ガイドと歩く石見銀山・大森の町並みウォーク」



歩く道は、これ以上はないという新緑の道だった。天気もそうだった。







(石見奉行大久保長安石見守の墓、死後墓はあばかれ一族20数人死罪の「長安事件」の人。






清水谷精錬所跡。



石垣が何段も上に上に。

「これは藤田組が明治27年ごろ作った近代の精錬所、
でも採算が合わず1年半でつかわれなくなりました。」

ガイド氏は石段のうえで説明。











歩く道は「銀山遊歩道」と名付けられている。

ところどころ休憩所あり。






遊歩道のあわりは「龍源寺間歩」という遊歩道ではいちばん高い地点。

そこを目指して歩く。








その間、遊歩道の脇には何箇所も”間歩”がある。

”間歩”は”まぶ”と読む。

”間歩”とは坑道のことで、銀を掘るための坑道、日本語というより石見銀山語。



間歩は石見銀山に500ほどあるそうだ。


間歩は16世紀にはじまり、
20世紀におわる。1923年(大正12年)

およそ400年間の間歩。


500の間歩は大小、上下、それぞれのものが道に点在していた。




400年の500の間歩は山の中に埋もれるようになってしまった。




それが世界遺産として再び人が集まるところとなった。

それが、
「高橋家」。

大森の旧家のご主人が、
ひとり、
この遺跡の保存と、
保護を、
訴え活動されたそうだ。




「石見銀山は閉山後、まったく手がついていなかった。
それが貴重であると、認められるようになった。」
とガイド氏。






















つぎ・石見銀山・大森の町並みウォークBCD














2007年4月30日