2006年3月10日  午前11:00ころ  笠岡の戦争遺跡「航空機格納場」
笠岡市神島見崎



「進駐軍がジープに乗って見崎に来た、その時はじめて”車”を見た。」




I氏は終戦時、神島内国民学校の「5年生の時じゃった。」そうだ。

見崎から「海辺や遍路道を50分ほど走ったり、歩いたりしながら学校へ通っていた。」




見崎の子供だったI氏は笠岡や福山などの町へ行くことなど一度もなく、(見崎での遊び、手伝いなどじゅうぶんすぎるほど面白かったそうで)
戦後すぐに見た「四輪自動車」には、それは驚いたようだ。



「見崎には道はないので、海からやってきた。
海岸線を走ってきた。」






「進駐軍が来たのは弾薬を見にきた、
大小の飛行機の爆弾を積み上げとった。
その上にのったりして子供は遊んどった。

それを米軍が見にきた。」








えいちゃんの育った茂平にも飛行機を隠していた。
その場所は今「ヒルタ工業」があるところ。
山に登る道には木が繁り、砂浜の海に近い場所。すでにその面影は完璧に消滅して、地形の跡形はない。







津ノ下の飛行場からは茂平のほうが近いけど、条件的には見崎が恵まれている。


「浜に降りた飛行機はトロッコで陸を移動して隠していた。

20〜30機は隠しとった。」









津ノ下から飛び立ち空を舞ったあと、御手洗池の白砂・砂洲の海辺に着水。

そして砂洲から堤防・山に隠す。










海軍・津ノ下飛行場は成果も無く終戦をむかえた。


それでも「赤トンボ」と呼ばれる練習機が大空を舞うのを、福山や笠岡の人たちは頼もしげに見上げていたみたいだ。







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2006年3月11日