2006年2月5日  午前10:00〜11:00 笠岡の戦争遺跡「糞尿船」
笠岡市神島外浦










糞尿船はかつて海辺の農村にはありふれたことだった。


茂平では「クソ船」と呼んでいたそうで、
お隣、野ノ浜では「神戸船」と呼ばれていた。


どちらも同じで、神戸から糞尿を積んだ船が波止に着き。
農民はを手押し車に肥タゴを乗せ波止に行く、船からうつす。そして畑のツボキにうつす。それを何回も繰り返していた。


もちろん有料で糞尿を買っていた。









ところが。






外浦は町であった。


糞尿を供給するほうで。








伴芳子氏著「神島回顧」


「備後水呑から漁船を汲船に改造した船で三艘・四艘やってきていた。

米・麦・西瓜・大根・白菜を「皆で食べて下さい。」と会社や村へ分けていた。


会社や村はとりにきてくれ大助かり、
水呑も貰って大助かり。」





かつて水呑からも外浦にきていた海。





それも昔話となり。


のんびりとお地蔵さんが海を見ている。



(35番・青龍寺)




お地蔵さんの姿は現在版「笠地蔵」だなあ。










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2006年2月5日