2006年2月4日   午前10:00ころ 笠岡の戦争遺跡 「千人針」(せんにんばり)
笠岡市笠岡駅前


笠岡駅は戦争遺跡でも最大のもの。



「出征」それに「出征の見送り」「出征時、井笠鉄道からの乗り換え」。
軍用列車・満州開拓団の出発・・・、井原・笠岡地方の多くの人たちの「駅」に記憶されている。



その時代に「千人針」という流行ものがあった。










「千人針」とは布のお守りで。

千人が生地に針をとおす。
これを身体にみにつけると弾除けになる。

では今、イラクへ出兵している自衛隊員が「千人針」を持っているか?
といえば、そういう質問自体が無意味でなりたたない馬鹿馬鹿しさ。












わずか60年ちょっとまえの日本には、信じられないような日本人で構成されていたとも言える。

時代の流れの中で生きる人々は「ささえあい」ながらも、その時が過ぎると「過去」とせず「忘却」して捨てた。それが「千人針」。








狂気の時代を生きた一市民・母の話が以下。2002年12月23日


戦争が激しゅうなると(千人針を)しつきょうた。

(国防婦人会のような)集会の時、そこで次から次へ(何人分も)針をいりょうた。


虎年の人は強いゆうて何針でもいりょうた。
今でも虎年のひとはみな元気じゃ。

駅や役場の前にはどこへ行っても並んで女性に頼んでいた。
すぐ終わるんで針をいれとった。

赤紙で召集の人はすぐ野戦へ行く人が多く、(気の毒な意味を含め)今で言う共同募金のようにして協力しょうた。
乙で徴収の人も同じじゃった。

2002年12月23日




この笠岡駅前でも大勢の人がたちんぼで、「千人針」の依頼、「千人針」への協力。それをする人達がいたことだろう。
容易に想像できる。















でもえいちゃんは実物を見たことは一度もない。


千人針は兵隊のありふれた持ち物・守り物として存在していたが、既に一部の民族館にしか残っていないようだ。





つぎ・「朝鮮部落」














2006年2月5日