2006年1月21日  午前9:00ころ    笠岡の戦争遺跡「金属類の回収」 千歳橋の欄干
笠岡市金浦 千歳橋


えいちゃんが金浦を走っているときいっつも思うこと。

この金浦の橋の欄干には何が乗っていたのだろう?






いつまでも??。というのも芸がない。

調べてみるか、聞いてみるか。


そう思った時に「まてまて」それだけではつまらん。
笠岡市内に残る戦争遺跡を訪ねて走ろう!

そう決めた。










これから2年ほどの間、笠岡市内に残る戦争の跡を訪ねる・尋ねる。

これは遺跡だけでなくゆかりの地を含めての走りとなる。


今日は戦争遺跡を訪ねる発端になった『金浦の橋』に走る。




この橋は金浦のまんなかにあり「ひったか」見物では身動きがとれない。



それほどの橋だが、この橋の名は???
誰も知りましぇん。

「千歳橋」といいます。





「金属回収」

よく新聞や、地方の昔写真にお寺の鐘をまんなかにして村長以下が集まった記念写真を見る。


戦時中、原材料が不足してついに各家庭からも金属回収することになった。
その象徴としていちばん目立ち、なじんだものをまず回収して宣伝につかう。

まっさきにお寺の鐘、橋の欄干が供出された。














「金属回収」は各家庭に強制だったようだ。



もう5年ほど前のことだが父にこのことを聞いた。


「割り当てがあり、役場に持って行った。
いちばんボロの火鉢を出した。
エエ火鉢は隠した。」







「戦後、戻って役場に行ったら。

役場の裏に出した金物がそのまま山積みされとった。」


「(じゃまになるのでボロ買いに安く売る)
業者がええ目をしただけじゃ。」













この千歳橋の欄干の金属は?


今日、ようすなで4人の人に尋ねた。

「あの橋はたぶん昔も今も同じですよ。」
とのことで。


欄干に金属はなかったようだ、どうもえいちゃんの思い違いだった。











この「笠岡の戦争遺跡」は本日よりおよそ2年間、訪問地50〜100を予定しています。

2年後、どうのようなページができているか?
それは、えいちゃん自身も楽しみです。


休日のした調べ、それに走り。

えいちゃんも結構忙しい。



そしてもちろん。これから続くえいちゃん独自の「戦争遺跡」のページは、戦争を美化するものでも反戦を意味するものでもありません。
こういうことが笠岡にもあった、残っている。それを訪ね走るページです。











つぎ・笠岡の戦争遺跡「皇紀2600年」ようすな漁船の凱旋














2006年1月21日