2006年9月26日  午前8:00〜12:00
竹原市忠海町  @エデンの海A忠海高校B忠海C忠海東小学校DEF大久野島



いくらか渦をまいた海、そして釣り船が数隻浮かんでいる。





この「戦争遺跡の島」とも呼べる大久野島の代名詞は「毒ガスの島」。


しかし、
毒ガスの遺跡はすくない。



海辺のテニスコート。
玉を打つ人もなくテニスコートがつづく。

ここが「毒ガス工場」があったところ。






テニスコートと休暇村ホテルの間にコンクリート製の洞穴があった。

「立ち入り禁止」。

標識はそれだけ。



ここが毒ガス貯蔵庫跡。のひとつ。

 


写真のようにすぐ休暇村ホテルに近接している。





これが「休暇村・大久野島」のホテル全景。

昔・毒ガスの島。
今・休暇村の島。


しかし、ホテルからは人の声も、そして芝生の庭を歩く人も・・・・いない。

休暇村というよりも休眠中みたいな感じだった。





ホテル横には「毒ガス研究室」の建物がある。

ここだけは案内板がありました。







整備された海岸の公園。

白い灯台がきれい。


この灯台は戦前愛媛県が管理してたそうだ。
「地図から消された島」のこれも名残か。





その灯台の公園のうしろの山に「北部砲台跡」。




この島には南部・中部・北部の三つの砲台があった。






今日、えいちゃんは「中部」に行けなかった。
中部がどうも、いちばん大きな遺跡のようだ。


とにかく案内板・標示板・説明板いうか、
それがすくない。

それが不自然そのものであった。



大小の遺跡・遺物は隠されるように残っている。
保存されているのではない、「残っている」。







100年を経て残る遺跡を「文化財」にしたくないならそれでもいいが、

「史跡」としては貴重品。


はるばる大久島にやってきた人が見落とすことがにように標識くらいは整備してほしいもんだ。



瀬戸の自然と、突然あらられる史跡、
不思議な島だったな。







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2006年9月28日