2006年7月15日  午前8:30ころ
福山市神辺町下御領 「医王院国分寺」




この備後国分寺跡にきてみてびっくりした。

遺構の礎石がお寺の塀代わりにびっしりと並んでいた。


その数は40〜50もあった。
















「備後」という国ができたのは「大化の革新」で吉備国が四分割されたため。

備後国には、
府中に国府が置かれ、

天平の時代。聖武天皇が奈良に大仏、各国に国分寺を造ることとなり、
神辺に国分寺が出来た。










国を代表する国府と国分寺。
いつの頃まで繁栄したのか?

たぶん、平安末期までだろう。




備後国分寺が在ったところのほぼ中央の位置、
そこに黒松の並木が参道としてつづく。















国分寺跡は当時の敷地跡、
そこに、
いま弘法大師。

寺名を医王院国分寺と称し”国分寺”を残している。










堂々川の土手から見る医王院国分寺。







国道313号線から”ふっかん”、
福山カントリークラブへ行く道。

その道の真下に医王院国分寺はある。






「御野分団第二部消防屯所」




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2006年7月16日