2006年5月6日 午後0:40〜2:00ころ
倉敷市船穂 高瀬通し
「ふなほ」と書いて「ふなお」と読む船穂、
最近、倉敷市になった旧浅口郡船穂町は「マスカット」とともに「高瀬通し」の遺跡でも有名な町。
今日は船穂町の高瀬船の通った川に沿って水門を訪ねてみよう。
ここが「又串水門」。
小高く坂道になり石作りがみごと。
この中を高瀬船が通っていた。
又串水門を上流側から見る。
「二ノ水門」跡。正面には「一ノ口水門」が見えている。
この「二ノ水門」と正面「一ノ口水門」が閘門式、
で・・・・・説明書きに必ず載る・・・・パナマ運河より200年早く出来たもの。
写真で何回も見てきた「一ノ口水門」が近くなる。
着いた。
これが「一ノ口水門」。
高瀬通しを代表する遺跡。
(・・・、パンフレットなどに写真で載るところね。)
高梁川や小田川の高瀬船がここから玉島港に行く。
高瀬船は大正の初期まで(伯備線が開通するまで)運行していたそうだ。
一ノ口水門から下流側の全景↓。
この高梁川の土手を下りて高梁川の水門口をから見てみよう、
そう思って河原に降りたが、川は蛇行し、草木は生え繁りその発見は出来ずにおわった。
2006年5月7日