2006年3月4日 午後2:00ころ
笠岡市西の浜 笠岡の出来事「昭和42年・西の浜跨線橋
完成」
六月さんが衆議院議員に初当選したのは昭和42年だそうで。
では昭和42年とは?
と調べてみれば、笠岡では「西の浜跨線橋 完成」の年になっている。
ついでながら、えいちゃんの昭和42年は高校を卒業した年であります。
当時人口30万人くらいの四国松山市から笠岡に来たことがある人が言うに。
「笠岡は街じゃねえ。」
?? (笠岡よりは松山のほうがだいぶん大きい)
「駅を出たらすぐ、すごい跨線橋があった。」
そういう訳。
たしかに。
できた当初はすごい橋、いまでもそうかな。笠岡を代表する橋。
跨線橋が出来る前。
今は無き、「西の浜踏み切り」があった。
笠岡の「西の浜踏み切り」といば。それはもう幅広く人と車が混雑しつくしていた。
あの踏み切りを渡るのは壮観な光景とも言えるほどだった。
踏み切りのポールが上に揚がると一斉。
前から後ろから車・人・自転車などが我先にと渡る。
何故?
我先に、といえば。
揚がったポールはすぐに降りる。だから急いで向こう側まで渡り切るようになる。
金崎トンネルを出た山陽本線は笠岡駅が見え上下線が複複線となり。これまた、今は無き「井笠鉄道」のレールもあり。
汽車の本数は多く、踏み切り幅は広く遠く、なっていた。
まあ極限状態の踏み切りだった。
そこに岡山県が跨線橋を作ることになり昭和42年の秋ごろ完成した。
橋は大きく半円を画き上下する。
構造計算もたいへんだったろうな。
完成してもう40年になる西の浜跨線橋。
2006年3月4日