2006年2月26日  午前11:00ころ
笠岡市用之江「用之江公会堂」 元城見村役場


えいちゃんの母校・城見小学校の前に用之江公会堂がある。






どこにでもある「○○公会堂」と、この「用之江公会堂」は大きな違いがある。


この用之江公会堂は城見村役場だった。



(そして、えいちゃんの知る限り。)


笠岡市で現存する唯一の現役の元・役場である。







この屋根の上のとんがった塔が二つ、これもいい。


建物は窓がサッシに変化しているくらい、
ほぼ完全に「城見村役場」当時と変わらない。






えいちゃんが城見保育所や城見小学校に行ってた時、
ここに脱脂粉乳を降ろしていた。


脱脂粉乳というのは「豊かな夢の国・アメリカ」が、「貧しい日本の良い子たち」に恵んでくださった粉末の牛乳。

昼ごろ、
バケツにはいった牛乳をとりにこの役場にきていた。


そのころの日本には”良い子”しかいなかった、そんな感じがするな。今思えば。







ところで役場の建物は城見村以外ほぼ消えている。

ぼろぼろの神島内村役場がかろうじて残り、その他の役場は建物が解体され消滅している。


そして多くの場合、その跡地は農協の施設に変わっている。




その理由、
村役場・小学校・農協はどこの村も近接していた。


笠岡市に合併した村役場は笠岡市支所として数年間使用して支所は廃止。
その頃、村役場は建物も老朽化してる。
その頃、ぼちぼち車が普及しお隣の農協は建・敷地を拡張する必要がある。

そういう訳で元役場は農協が買い、農協は元農協と元役場を一体化して一新する。
だいたいがそういうパターン。




城見村の場合、農協・役場は近いが接してはいなかった。




この建物はいつ頃出来たのだろうか?


今日、実家で父に聞いてみた。


「ワシが小学校に行ってる時にゃ、もうあった。」

父が城見尋常小学校に通っていたのは大正末から昭和初期。


そうゆうことなら建築後80年以上の建物となる。






公会堂の下駄箱。
「下駄箱」という言葉のとおりの下駄箱。
これも残って現役いうのも珍しい。




そういうことで、
この用之江公会堂はえいちゃん指定の”文化財”と言える。






城見公民館の前から見る元城見村役場。
やや左手に「エフピコ」の工場、右手に「天理教」が見える。



そして役場の手前が城見小学校の校庭。


写真には写っていないが校庭の後ろに校舎がある。


校舎はもはや、えいちゃんの郷愁を感じさせるものはない。


校庭ですら当時の面影を探すのがくるしい、
それほど城見小学校は変わってしまっていた。






つぎ・故加藤六月さん














2006年2月26日