2006年1月3日 午前8:00〜9:00ころ
笠岡市富岡・今井 井笠バス路線(笠岡〜今井循環線)
馬飼の道路標識の向かい側に「馬飼」バス停。
今立川の土手の道がつづくその中間あたり、川をはさみ右手広浜・左手馬飼。
バス停名は「広浜」でもいいし「馬飼」でもいいところにある。
道が新道と旧道に分かれるとこにバス停があった。
走り去ろうとして気が付いて戻る。
「山中」。
バス停のポールの上の部分はもはや消滅していた。
ここはでは「広浜」というバス停だろうか?
あとで今井農協に今井地図が貼ってあり「山中」バス停である、ということを知った。
バス停名のつでに言えば「○○前」というのが多い。
「○○後」「○○横」はなし。
「○○入口」というのはあるが、「○○出口」はない。
これから「○○前」のバス停がつづく。
「今井農協前」
この斜めになったバス看板は「農協前」ではなくて、「農協の中」にあった。
この病院より規模の大きな病院は多い。
それでもバス停名は、
「病院前」。
知名度から言えば市民病院がいちばんだろうが、そこは「市民病院前」。
かつて「笠岡市」といえば「今井の病院」はあまりに有名だった。
「ドンガメ(カブトガニ)」よりも笠岡を代表するものだった。
その名残りだろうね、きっと。
この「病院前」は「今井農協前」から200mと離れていない場所にある。
道はいったん農免道路になる。 西に向かい、 |
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左手のバス停「今井小学校」。 | 右手のバス停「今井小学校前」。 |
こういうのも珍しい。
正面が今井小学校。
道はすぐ農免道路と離れる。
西中方向への坂道となる。
「薗井住宅前」。
こうして何故かバス停を隠す貼り物が時々あるが、どしてだろうね?
薗井の市営住宅。
今は住む人もすくなく「歴史遺産」寸前になりつつある。(ように思った)
山道の頂上に「住宅上」バス停。
ここは「大峠」地区と呼ばれている、集会所にそのように書いてありました。
こんどは山道を下る。
「西中前」
西中前から上り方向↓。うしろの山は加入堂山。
西中前から下り方向↓。この道を西中に通った生徒はなつかしいだろうな。
朝の始業前には1000人を越える生徒が登った道。
西中の校庭。
まださんがにち、
校庭で練習する生徒はいなかった。
循環線の「田頭」バス停。
この田頭交差点を笠岡方向に曲り、
今井循環線は他の路線(井原・矢掛線など)と共通のバス道となる。
2006年1月4日