2006年1月9日  午前10:30ころ
笠岡市神島 孫殿洲(まごどんす)


たしか、ここは(かつて)「瀬戸内海国立公園」の指定地だった。



昭和27年笠岡市発足の後、
笠岡市からは島が5島消滅していった。




昭和50年ころ、笠岡湾干拓で神島・片島・猫捨て島、この三島が陸続きになった。



国立公園「おおどんす」「こどんす」「まごどんす」のうち「おおどんす」「まごどんす」が陸続きになったのはそれより早い。



たぶん「おおどんす」が一番早く陸続きになったんでは。
「横島青少年研修センター」(現在のカブトガニ博物館)とかいう施設を高校くらいの時、聞いたことがあるように思う。

そして、いつの間にか「孫どんす」も神島の陸の一部になった。




いまは「子どんす」だけが島として残っている。





孫殿洲から見る、正面は神島大橋、左手は大殿洲。










神島の一部になった「孫殿洲」の渚にたてば、
すぐ前の「子殿洲」との間に潮が巻くように動いている。



1/7に聞いたI老人の話しを思い起こした。


「瀬戸の渡しがまだ艪で漕いでいたころ。

片島との海峡の潮、瀬戸内海からの潮、笠岡湾からの潮。
それが6時間の干満の間にこの瀬戸で流れがいつもありました。

艪を漕ぐのはその潮・流れを見極めて沖に漕いだり、笠岡に漕いだりしてして渡しをしていました。
まっすぐ漕ぐということはありません。

艪を漕ぐ経験ではなく、瀬戸の流れを知る経験がないと出来ない仕事でした。」













いま孫殿洲は「天神団地」という住宅地の隅にかろうじて残る。


(島の天神から見る孫殿洲。天神がこの「国立公園」を見る場所でもあった。)




団地の番外地のような存在になっている。



いつの時に孫殿洲が「国立公園」を解除されたのか、それはえいちゃんは知らない。







つぎ・茂平趣味の会














2006年1月9日