2005年12月6日 午後4:40ころ
神辺町 廉塾(れんじゅく)
神辺マラソン大会を走れば街道にそって大きな楠木が見える。
道からはみだしていて、しかもみどり緑して、高い木。
いったい、ここは何か?
と、立ち止まっても見えるのはここまで。
今日はマラソン大会の日ではない。
ではでは、そのオウチに入ってみよう。
ここは「廉塾」(れんじゅく)という神辺では有名な『広島県特別史跡』。
1800年頃の人で、管茶山という当代いちの漢学者がここ神辺に生まれ、神辺に塾をひらいたというもの。
「頼山陽も訪れました。」というのもウリ。
門をくぐれば「菜園」がひろがる。
菜園につづいて寮の建物。
これは「養魚池」と呼ばれる池。
ふだん魚を飼い、火事の時は防火に使うという説明書。
塾を流れる小川には「筆洗い場」。
お勉強の筆をここで洗ったそうだ。
でも、ここでは顔や足を洗ったのではなかろうか?
歩いて一里・二里くる生徒が多かったはずだしな。
水路の水はむかし変わらずきれいでした。
この格子戸の上には「管○○」という門札がかかっていた。
このウチには管家の方が住まれているみたい、ポストやtvアンテナもある。
この戸をあけて中にはいっていくと。
江戸期そのままではないか、というほどの「管茶山鄭」。
しかも庭の木々はおおきく、その時代に戻れるようなお庭。
なかなかすぐれものの「廉塾」であった。
そう思いつつ門をでてから裏、高屋川にでてみた。
すると、裏側からみる「廉塾」。これまたいい雰囲気で。
廉塾の広大な規模と甍がきれいで、背後の山との景観もマッチしてる。
12月の空が暮れるのは早い。
川土手を歩けば、空はすこし赤くなってきた。
”ぎんぎんぎらぎら夕日がしずむ・・・”、そういう神辺の高屋川の空になってきた。
2005年12月8日