2005年12月10日 午前8:45ころ
笠岡市笠岡 名勝・応神山


応神山。

いまから1700年まえ、応神天皇がこの山に遊び。
その時、天皇の笠が風にとび・・・・。

この地は「笠岡」と呼ばれるようになった。




笠岡の地名の古里でもある名勝・応神山。













そうゆう応神山だが、
じつは存在は薄く、
ここにくるまではなかなかたいへんだった。















えいちゃんは何度失敗しただろう。


絵師からも上った。
富岡からも上った。
笠神社からも上った。
大磯からも上った。











そして、その土地の人の何人に聞いただろう。

ことごとく失敗の回数を積んだ。



すべて道は無くなり、自然の山になるだけだった。








そして冬になり、枯れ葉は落ち、ハミにかまれる心配もなし。

再々・・・・・・挑戦をしよう。















失敗にこりて勤務先のksd社の笠岡生まれの人4〜5人に聞いてみた。

小学校か中学・高校の時、遠足かなんかで一度行ったことはないか?と。


すると。
「ありません。」ではなくて、

「どの山ですか?」「知りません。」のお返事で聞くだけ無駄でおわった。















今日は三愛園から何度目かの挑戦。

黎明高校をすぎると、はやくも。
「今日は登れるんかな?」の心理。




三愛園からはせまい舗装道だった。
その道は登山道に合流した。

その時点で初登頂を確信した。













尾根はながくつづき、応神山はまえもうしろも魅力の山だった。




道はわかった。

これからも春の応神山、夏の応神山、秋の応神山をたずねて来よう。






つぎ・元千草寮














2005年12月10日