2005年11月20日  午前8:40ころ
笠岡市金浦新川 元・笠岡市民病院


えいちゃんが小学校の4年生の時、母が入院した。
学校から帰ると母が入院して家にはいなかった。




母はその日、「盲腸になりすぐ金浦病院に入院した」と父が言った。


それから3〜4日後、はじめて金浦に行った。
バスに乗って行った。
はじめて新川の土手を歩いた。

それは昭和33年(1958年)のこと。えいちゃんの記憶がただしければ6月であったような気がする。




病院は木造の建物で平屋だった。

母の病室の前の庭で大勢の男たちがぐるぐる回るような作業をしていた。
それは「病院の井戸を掘っている。」と母が言った。



それ以外の記憶はまったくない。



海だった西ノ浜が陸地になり、そこに新しい「笠岡市民病院」ができて金浦新川にあった笠岡市民病院は廃止された。








初代・笠岡市民病院は金浦にあった。
初代・笠岡市民病院は元・金浦町民病院で、それをひきついでいた。







金浦新川にあったその跡地に行けば、面影もなし。


この新川保育園。




この地が元・笠岡市民病院。

けど、元市民病院はもっとひろかった。










この写真に写ってないが右手が「新川会館」という集会所がある。





このあたりが病院いったいだったのだろう。





つぎ・吉浜銀山














2005年11月20日