2005年11月23日  午前8:20ころ
笠岡市吉浜銀山


吉浜の農免道路が有田に向かって三叉路になるところ。

その道に面して赤い煉瓦の煙突がある。




煙突から煙がでているのは見たことがなし、用を終えて煙突だけ残る。


母屋もどっしりとしている。











そのどっしりした母屋の裏庭にポツンと立っている。

近所で散歩中のおじさんに聞いたら。

「”まるだい”さん。
醤油さんでした。
25〜26年まえまでやってました。」




そうか。
ではえいちゃんが中学生のころはやってたんだな。えいちゃんはこの前の道を金浦中学3年間通学している。






えいちゃんちも”まるだい”の醤油を愛用していたか?
といえば、そうではない。

自給していた。家の土間に醤油をつくる木製の機械がありぽったん、ぽったん。醤油をつくっていた。


ハレの日。そういう日に限り一升瓶で買った醤油をつかっていた。









今朝の元・金浦中学。
えいちゃん当時からあるイチョウの木がまっきいろ。




金浦中学より西へ500mほどのとこの池。
池はレンコン畑に変わっていた。



池の土手から山陽線を見れば貨物列車がながく。





池の土手から東を見れば金浦小学校は霞のなか。









池をおりたとこのお堂。

このお堂はむかしとまったく変わっていない。












吉浜銀山。(よしはまぎんざん)





この道をもう100〜200mも行けば有田になるところ。










つぎ・父の米寿祝い














2005年11月23日