2005年10月26日 午前11:20ころ
倉敷市真備町川辺 旧山陽道・川辺宿
まあ江戸時代の人はよく歩いたもんだ。
いつもそう思う。
(川辺宿・一里塚跡より倉敷方向)
例えばの話。
この「川辺宿」に泊まった大名行列ご一行様は翌日は「神辺宿」に泊まる。そこまで歩く。
一日の距離がフルマラソンとほぼ同じ距離。
高梁川の堤防に一里塚の跡が残る、
のではなくて「碑」が一本立つ。
ここが旧・川辺宿の街道沿い。
(右手下の石碑が一里塚)
本陣跡も脇本陣跡も残っている。
でわでわ、そこに行ってみよう。
じゃーん。これが本陣跡。
歯医者さんの庭に、ぴかぴかの石碑が立っているだけ。
本陣跡から街道筋を見る。
旧・山陽道のにおいはほとんどなし。
こちら「脇本陣」。ここも石碑一本のみ。
川辺は地名のとおり「高梁川」「小田川」の町。
大名行列は二ケ月に一回くらい泊まる。
高梁川に橋はなく、徒歩または船でわたる。
川が氾濫した時は宿場はにぎわう。
古図によれば川辺宿は街道を表としたら、その裏側に二重に家と小路がありそうとうな宿場町だったみたい。
けれど今は↑の写真の神社がその繁栄をすこし感じさせてくれるだけだった。
2005年10月26日