2005年9月19日  午前8:00ころ
笠岡市入江・入江共同墓地  鳥越新兵衛の墓



鳥越新兵衛の墓から見る入江港。





鳥越新兵衛の墓から見る西大島新田。






鳥越新兵衛の墓から見る北、笠岡工業高校方向。







鳥越新兵衛の墓から見る西、神島方向。すぐ下にはカブトガニ博物館。







鳥越新兵衛とは、・・・ひらたく言えば・・・国道2号線の笠岡市富岡から里庄町浜中の間の南側すべてを造成した人。

江戸中期の人。




鳥越新兵衛の墓は「笠岡市指定文化財」に指定されている。
これは、もちろん墓自体ではなくて鳥越新兵衛の功績にたいしての指定。









墓は小山のうえにあり、今は入江共同墓地になっている。










今立川が瀬戸内海に流れ込む手前ふきん。
川の両岸とも鳥越新兵衛の手になる新田。



写真右手にコンクリートの塊がみえるが、国道2号線笠岡バイパスの橋脚工事中。





今朝はまだ脚が痛かった。
今朝の走りは義務感で走った。

NYCマラソンでいっしよだった八王子市のR氏が「脚の疲れは走って治す。」
えいちゃんにこびりついているその言葉を重んじて走った。



帰り道雨が降った、けれどどうにか家までかえってこれた。





つぎ・元・神島内村役場














2005年9月19日