2005年9月18日 午後1:00ころ
井原市西江原町 「霞座」跡
ぶどうマラソンの選手駐車場・葡萄浪漫館から出た人はほぼ全員が山を下る。
えいちゃんは独り山を上った、その道を1.5キロ走ると右手に祖父母の墓の場所があった。
えいちゃんの母方の祖父母の家は青野から近い、それを今日実感した。
かつて西江原町に「霞座」という劇場があった。
西江原の人たちの一番楽しみの場所であり、
母と、おじ・おば達が見て、祖父母も見、曽祖父母も見てきた「霞座」はいったいどういう建物だったのだろう。
神戸川が流れ、彼岸花が咲き、
そこに「西江原郵便局」。
その霞座の場所は、4日前に訪ねた伯父から「郵便局の裏側じゃ、
古いのでなく新しいほうの郵便局じゃ。」と聞いていたばかり。
伯父は「建物はまだ残っとるで。」と言っていた・・・・が。
ぐるり一周、それらしき建物は見えなかった。
乗り合いバスを待つ婦人に聞けば、
「霞座?、いつごろのことでしょうか?相当古いんでしょうねえ。」
霞座そのものの存在を知らなかった。
すこしして70歳をすこし超えたか、と思える二人のおじさんが談笑していたので聞いた。
「霞座? よう知っとってじゃなあ。」
と感心された。
「場所を案内しましょう。」片方のおじさんが自転車で案内してくれた。
「ここです。
ここから曲り、この正面です。」
「まったく、何も残ってはいません。
もう何年も前に壊してそのままです。」
その場所に立つとほんとになにもなかった。
跡地と民家の境界も不明。
ここに「霞座」があった。
はんぶんくらいコンクリート、はんぶんくらいが土のまま。
その土のとこには菜園をしているような、してないような。
そして北側はフェンスで興譲館高校のグランドと接している。野球部の生徒が大勢練習している。
こちら郵便局側からの「霞座」跡地。
車社会になるまえ、この霞座はいい場所だっただろう。
七日市からも近い、西江原の通りに近い。
たくさんの客を呼ぶには便利な場所。
けれど人しか歩けない裏道にあるので、映画・芝居の興行がなくなるころからは「いい場所」から「悪い・不便・使いようがない」土地になってしまっている。
今日思ったこと、
その場所を訪ねて何も残っていないのもまた楽し。
近くには「一ツ橋陣屋」の碑があるが、
こういう庶民娯楽の記念碑というのもあって良いと思うのだが。
「霞座跡地」この記念碑はいつの日かできるのだろうか?
2005年9月18日