2005年4月29日  午前9:50〜10;40ころ
福山市丸ノ内1丁目24番 福山城東堀跡発掘調査


福山城には戦災で焼けるまで国宝・福山城天守閣があった。

天守閣は再建されたけど、どうしても再建できないのが「お堀」。


内堀・外堀はいまや跡形もなく、
その外堀までつづいていた海の道には「天下橋」「木綿橋」があったが記念碑が残るだけ。



福山城。
元和8年・1622完成。

城郭建設爛熟期の城。






お城には県立美術館・博物館がわから登っていった。
かがやくような新緑だった。




そして本日の外堀遺構の会場へ歩いた。









福山駅北口、
サントークまえには「福山城物見櫓跡」の碑とその石垣が残る。




その物見櫓跡の後ろにアスファルトや土砂を積み上げた工事現場がある、そこが本日の現地。




9:50ころ会場に着いた。








2005年4月29日 午前10:00、そこに250人の人が集まった。(人数は4/30の中国新聞より)



(受付では福山城図を全員に配布している)



今日は福山城外堀遺構の説明会なのだ。






































中国新聞の2005年4月27日 、この今日の説明会があることを知った。


「掘れば遺跡」、それが日本。
調査後は破壊、それが日本。

破壊するまえに自分のこの目で見ておこう。



GWの初日の行き先は、この新聞記事を読んだ時に決めた。















つぎ・福山城外堀A














2005年4月30日