2005年4月29日  午前9:50〜10;40ころ
福山市丸ノ内1丁目24番 福山城東堀跡発掘調査


えいちゃんは悲しくなった。






なんでこれほどまで、福山城を無視つづけてきたんだろう。



この土管をみてほしい。




そして土管の左うえにはヒューム管もある。









そう、ここに江戸期の石垣が発見されたのではない。


戦後の昭和20年代の排水・雨水ようコンクリートが共に発見されたのだ。








悲惨。
そう思った。







福山といえば「福山城」。
それは今も市のシンボル。

観光の代表。

けれど、それは天守閣と本丸だけのこと。


つぶされた遺構には目もくれない。








学芸員さんによる説明。










「石の採取は・・・、石垣の高さは・・・・、石には刻印が・・・、




三の丸には藩主の御屋形があり・・・





石組みの暗渠もみつかった・・・・。」




そういう説明を聞く人たち。




















いちばん寂しかったのは説明する学芸員さんではなかっただろうか。





愛する福山城の外堀の調査を自分でして、
そして調査がおわれば、

外堀は消滅してしまう。


こんな悲しいことはない。






明治の廃城。


明治中期の鉄道敷設。


昭和20年、空襲による天守閣消滅。

昭和41年、天守閣再建。







それが福山城の出来事と思っていたが、そうではなかった。




戦後ですら更に遺構を破壊し。
平成にいたりては景観の破壊しまくり。。。。。

東外堀から天守閣を望めば・・・・、ビル・マンションの壁がさえげり、・・・お城は一角さえ見えず。






平成福山市民の文化不毛を、後世に恥として残す。





参考リンク・福山城全景復元図(福山市伏見町市街地再開発組合)
参考リンク・福山城のお堀(福山市伏見町市街地再開発組合)




つぎ・福山市明王院














2005年4月30日