2004年11月17日 午前8:40〜12:10ころ
玉野市宇野〜倉敷市児島味野@ABCDE
玉野市玉。
トンネルを抜けると玉。
玉野市は峠をはさみ「宇高連絡船の宇野」、「造船の玉」、「精錬所の日比」。
この三つの町が合併してできた市。
造船所が近づく。
走るえいちゃんはなつかしモードがあふれ出る。
この広い道はなんだ?
30年もたてば変わってしまう。
でも店の名は「三井生協」。
とにかく三井の城下町なのだ。
造船所構内を見ながら走る。
右手、「三井総合病院」。
玉商店街の真ん中を流れる川。
川のうえは市営駐車場。
玉商店街入り口。
ここまでくれば、もう涙がでるほど気持ちは30年前。
三井造船の正門をでて右へ300〜400m。
まっすぐ行けば宇野、右へ行けば玉商店街。その場所。
玉商店街入り口。
玉野市立備南高校。
木造校舎が歴史もの、もとは三井造船の学校としてできた。
P社施工・三井造船玉野造船所「NO1・NO2ドック合併工事」。
まれにみる難工事だった。
昭和48年12月赴任したえいちゃんが驚いたのはP社土木職員が粒ぞろいのメンバーだったこと。
この工事から20数年後、さえき所長(左から2人目)はP社副社長になられた。