2004年11月17日  午前8:40〜12:10ころ
玉野市宇野〜倉敷市児島味野@ABCDE


親愛なるよねちゃんへ。

今日のこのぺージはよねちゃんにとってもえいちゃんにとっても青春を共有するところ。
30年まえの青春がすこしはよみがえるだろうか?


米沢くんは僕より2・3歳年下で、昭和49年ころ玉野市玉のP建設三井船渠工事事務所で同僚。
鹿児島県出身、宮城県に在住。玉野時代の同僚で唯一音信を交わしている。



宇野港。


前に直島と、直島には精錬所のエントツ。
直島は多数の小島を従える。




「宇高国道フェリー」。
瀬戸大橋ができた今も昔と変わらず。








宇野駅前。
こちらぼっけぃ変わりよう。

分不相応。




この立派過ぎる駅前を見ていたら。
そうだ、橋ができるころ四国の玄関口の役目を終える玉野の起爆剤として「スペイン村」かなんかを連絡線跡地に作る予定だった。


そのレジャー施設の話はごわさんになり、駅前広場が完成残ったというとこか。























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2004年11月17日