2004年9月23日  午前8:00ころ
笠岡市西大島新田


購入したばかしのアディダスの靴をはいて走る。

今日は西大島新田を一周する。


2号線を右折、今立川に沿って走れば川の左手に東中、笠岡市立笠岡東中学校。
正面左手が大島の山、右手が神島の山。


東中のあたり。
そこは里庄町と笠岡市がいりくみ境界は不明。







里庄側の山にそって民家、小黒崎。


小黒崎の県道は今、国道2号線笠岡バイパスとして拡幅中。





県道からみる笠岡工業高校。


写真中央は国道2号線笠岡バイパスの今立川橋梁の工事現場。
橋は道通さんぎりぎりにとおる。









大島中への道、名切。

まもなく津雲貝塚がある。





津雲貝塚の直前で右折。
そこが土手尻の堤防道。
そこに、↓。バベの木。




バベの木の生垣がある。








生垣は土手尻の堤防一直線につづく。

うっ。
この生垣はいったいどういうことか?

立ち止まり民家を見る。
家は生垣より下る。
車の出し入れはこの生垣のためちょっと不便か。
生垣は家を囲んでいない。堤防にあるだけ。
この生垣はいったなんだろう?









電動のこ切をてにしたおばさんがいた。
葉っぱを刈る手を休めたのでたずねた。


「台風の風から守るために作ったのです。
台風の時はあっちから(東方向大島と里庄の山を指した)風がくるんです。

もう300年も前からこれはあったんです。
今はこれしかありませんが30年ほど前までは間に松があったんです。
松くい虫にやられて全部切ってしまいました。」

えいちゃんは樹齢300年の松と今のバベの生垣が続く道を想像した。








「この前の台風の時はあそこ(↓の写真)に土嚢を積みましたが、消防の人はここに隠れて休みました。
これがあるので風はありませんでした。

消防の人も『おばさん、こりょお大事に守らにゃあいけんよ』ゆうとったです。

けっこう手間がかかるんです。」


おばさんは笑顔でそう話した。
その顔は生垣を守る顔だった。












(土手尻の堤防道と大島川のT字路)






(大島川)






「これより浅口郡」の道標が残る今立川河口。


江戸初期に土手尻堤防ができた。

そして江戸中期、鳥越新兵衛が現在の今立川までの新田を開拓した。


土手尻から今立川の間の地名を「西大島新田」と呼んでいる。




追記・帰り道のこと。
西本町には道と家に石灰が多くのこっていた。
台風時の浸水は海からでなく隅田川からだったんだな。
川の西側、山陽線の北側、旧2号線の南側。そこがひどい。まだ家の床板丸出しのうちが点在していた。





つぎ・愛媛県伯方島@AB












2004年9月23日