2004年8月22日 午前6:300〜7:30ころ
旧国道2号線 笠岡市西本町〜福山市大門駅
笠岡駅から大門駅まで。
この道はめくらで走れる。それほどなじみの道。
西本町。
アーケードはなくなり路上はしっくりこない色に舗装されている。
左手、西本町の共同井戸。
狭い道だけど。
この道が”天下の国道2号線”だったのだ。
小学校か中学校か忘れたが学校の授業で「日本は鉄道が発展しているので逆に道路は未開。」と習った。
あれは大嘘だった。
たんに日本が貧乏であっただけだ。
金崎を走り。
金浦の町中を走る。
今日走る道は子どものころこんなことを言われていた。
”大門から笠岡までがいちばん道は狭い。言葉もいちばんきたない”
この地域の人の会話は「けんかをしている」話に聞こえる・・・・といわれていたが方言はTVの普及とともにだいぶん消えていった。
吉浜。
そしてえいちゃんの地元・城見地区。
大宣の道。
ここは左手山陽線右手大宣川。
大宣と用之江のさかい付近。
前方橋のしたに踏切があり、小学生の時は毎日わたって通学していた。
山陽本線の踏切は「上り」「下り」のレールが4本ある、それを毎日渡る。
そのことが少年えいちゃんを悩ませた。
絵本や少年雑誌などでみる蒸気機関車の絵や写真には「レール2本」、それがどうしても理解できなかった。
2004年8月23日