2004年6月6日 午前9:00ころ
井原市七日市町 元七日市駅
七日市駅は、「こころの駅」。
(七日市駅前道路)
(七日市駅前道路)
えいちゃんの「ふるさとの駅」は大門駅。
えいちゃんにとって「駅」とは。
大門駅・福山駅・笠岡駅、そして七日市駅。このよっつだけ。
大門駅から乗っていく先は上の駅のどれかだった。
七日市駅は30余年まえに消滅した。線路もレールも無くなった。
七日市駅はえいちゃんの心の中にしかない。
(井笠軽便鉄道七日市駅があった付近↓)
旧駅前にたつと名残があるようで?ないようで?
道にたつ老人氏に聞いた。
「ワシャ82になる。」
以下、老人氏の話である。
(元・駅ホームあたり)
「昔はそりゃにぎやかじゃった。
大八車に荷を積んでそこへある(と、笹井写真館を指す)あの店が荷の総元をしょうた。
吉井や星田からも大八車を引いてきょうた。」
「汽車がきたら大人が大勢していっこづつ貨車に積みょうた。」
(駅前道路)
「ここらあたりはみな工場じゃった。
工場からの荷も大八車でいったん、ここまで持ってきょうた。」
(駅前道路)
「子どもの頃はその車を押してやりょうた。
そしてら飴玉をくれることがあり、それを楽しみにしてよう押しょうた。」
「工場は朝の5時にスイッチをいれるんじゃ。それで、わしらも5時になるともう目が覚ょうた。
どこのうちもその音で起きて仕事の準備や学校へ行く用意をしょうた。」
「晩は10時ごろまで工場は動きょうた。
昔の人はそりゃあよう仕事をしとる。」
(駅前道路横道)
「ここはガッチャンの町じゃけえ。」
がっちゃん、がっっちゃん、あの織物機の音のことだろうか?
(七日市の往来)
「ワシャ大正12年生まれじゃ。
82じゃ。」
老人氏は何度もこのことを言った。
そのうちに。
(七日市の往来より日芳橋)
「戦争にも行った。
”さらばラバウル”のラバウルにもおった。」
「ラバウルには敵前上陸じゃった。
日本に石油を送らにゃあいけんゆうことじゃった。」
「海を渡る時は鉄砲を片手で挙げて(濡らさないように)泳ぃだ。
なに、ワシャ小田川が氾濫した時にゃあ”ごうしゃ”から泳いで帰りょうたんじゃけい。」
と、老人氏は話すうち大口の内容になり。ここらまではどうにか聞くこともできたが老人の話は止らない。
ついには。
(七日市の往来)
七日市の往来に建つ「七日市駅」への石碑)
(七日市の往来)
「今でもワシャ自衛隊から呼ばれるのを待機しとるんじゃ。
ワシらのように実戦で体験しとるんは、自衛隊でもいざゆうときに要るけえのお。
呼ばれたらいつでも行けるようにしとる。」・・・???
(武速神社)
老人氏に話のお礼を言って別れた。
老人氏はまだまだ話がしたそうだった。
2004年6月6日