2004年6月5日  午前6:00〜8:00ころ
笠岡市神島 神島88ヶ所霊場(35番〜53番)



遍路道は磯に降りた。
渚で途切れた。



ゆったりと島と四国が見える。



なんとも言えないなつかしい時を感じる。

えいちゃんも子どもの時はこういう磯で遊んで大きくなった。







磯の後ろに一軒の家があった。
山と海に囲まれたたった一軒の民家。

お爺さんが庭で掃除をしていた。
お爺さんの年齢はもう90歳くらいだろうか?

お爺さんに聞けば「うちが”周兵庵”じゃ。」



そうか、ここか。ここが周兵庵か。
えいちゃんはため息のような感慨を生じた。


「うちが一番ふるいんじゃ。
うちが一番ちいさいんじゃ。」


「昔は大勢お参りに来てくださりょうた。
井原の小角(こずみ)からは毎年たくさんの人が来てくださりょうた。」





「このお大師さまにもお参りしてくださるんじゃ。」
周兵庵の隣には札所ではないが大師堂がある、お爺さんは毎朝それを掃除しているみたいだった。









お婆さんも出てきた。
「ほんとの遍路道はこの道なんです。」
と海を指差した。
「満潮の時のため山道をつくった(かつては山道は存在しなかったようだ。)けど、ほんとは海沿いを歩くんです。
石の像が二つ並んでいるところまで行ってください。」







岩ぼこと砂のまざる海岸を西へ歩いた。
仙水島の手前には多くの船が浮かんでいる。







そしてまた山道を歩いた。

木々の間からは波の音、ウグイスの声、そして潮の匂いが山道まで届く。







明るくひらけた麓に「神島ナビックランド」が見えてきた。
その向こうには製鉄所。







走ったり歩いたり。
山中には札所が点在。






やがて外浦から内浦へ。



同じ島でも外浦と内浦はまったく違う感じがする。

外浦は笠岡でただ一つとも言える工業の町だった。
内浦は本土を向いて、のんびりした農漁村の島。



山道は見崎に降りる。
浜では釣り人数人。


見崎にある神島でいちばん大きな池、それが御手洗池。
池には船虫。
この池は海水混じりだったんか、知らなかった。






見崎の海辺には札所が集中。
2箇所ほど飛ばしてしまった。
そして寺間へは山沿いに歩く。




山道はのんびり。

新笠岡港↓。





寺間の潮止堤防↓。
昭和49年前後、えいちゃんも仕事でこの工事現場に来ていた。







お遍路道からみる寺間の民家。
本土となった今でも島だった名残りがする。
小野竹喬が画いた神島の絵があるが、あの感じは今もただよう。






今日の走りは35番から53番まで。
内浦から外浦へ行く道路、その西側の札所だった。


つぎは東側の札所を走る。
楽しみだな。







追記・今回の「神島88ヶ所」は観光図を手にして走った。これがないと走れない、歩けない。
KSDランナーズクラブたけちゃん選手は神島外浦出身で、観光図の入手とお遍路道を歩く注意事項をアドバイスしていただいた。たいへん役にたった。






つぎ・七日市駅







2004年6月6日