2004年6月5日 午前6:00〜8:00ころ
笠岡市神島 神島88ヶ所霊場(35番〜53番)
ひいじいさん。
曽祖父が年一回、楽しみにしていた神島参拝。
その道を70年を経て今日はえいちゃんが走る。
ひいじいさんの事は写真でも知らない。
母の父の父である。
逆算すれば明治5年前後の生まれだろうか?
母の話で残るだけ。
「おじいさんは年一回、神島にお参りするのが楽しみじゃった。
行くことにして毎年行きょうた。
女学校に行っている頃はおじいさんの弁当をこしらようた。
米をほうろくで炒って焼き米のおにぎりを作って持たしょうた。
おじいさんは”しゅうべいあん”ゆうところへ泊まりょうた。
蛸村まで戻ると”帰った気になる”ゆうてようた。」
母方の曽祖父のことはコレですべて。
あとはなにも残らない。
現在の井原市西江原町から毎年、年一回神島に歩いて来ていたことだけが母の話があり残る。
曽祖父は一泊二日でお参りしていた。
真っ暗い朝家を出て笠岡の大磯まで歩く。(母の話に蛸村がでる、既に開通の井笠鉄道には乗らず徒歩ということになる)
大磯から唯一徒歩でないのが神島までの船。
(神島は昭和45年ごろまで島だった。)
ひいじいさんの歩いた距離は2日間で、およそ70キロ弱くらいある。
それがひいじいさんの年一度のたのしみだった。
「あっさりや」
外浦の「あっさりや旅館」は札所と並んでいる。
ここから遍路道は「専用遍路道」がはじまる。
前に進もうとしたら後ろから声。
旅館の奥さんがでてきて「お遍路道ですか?
それはこっちの道です。」
ちいさな草道だった。
天気快晴。
風はなし。
「同行二人」
遍路道の木の枝にところどころその文字がぶらさがっている。
えいちゃんは一人。
でも、弘法大師さまと「二人」。
道行く人は誰もいない。
えいちゃんだけ。
2004年6月5日