2004年5月9日 午前6:40ころ
笠岡市笠岡大久保



大久保といえば「大久保変電所」、それがあるところ。
赤レンガをすこしだけ残している、中電の「ささやかな気持ち」だろうな。






(変電所まえから追分方面。県道井原笠岡線。
瀬戸大橋開通と山陽道の開通は同時、それにあわせ市内および2号線へのメイン道となるこの道の拡幅工事が完成したのは、やっと3年ほど前。
現在は笠岡インター北、大戸や井原の岩倉あたりを拡幅中)





大久保といえば笠高、これもある。
えいちゃん母校。



高校の屋上。
えいちゃん時代はここで男女のカップルが会話してましたね。
でも、えいちゃん時代のカップルは全校で数組くらい。男女交際は映画の中、そう思っていました。






笠高グランド。
自衛隊がつくったグランド。

完成したこのグランドは当時、笠岡いちの規模を誇った。

グランドの広さ、それにグランドには階段席つき、文句jなしに「笠岡いち」。
完成した昭和35年ころから20年間くらいは王座を保った。

今は図書館跡地に完成した新・千鳥会館がうしろに控える。







商業(笠岡商業高校)と小道をはさんだとこ、ここは。
覘きの丘?
ひやかしの丘?

ちどり、商業の「交友の丘」とは呼べない。


商業の男子生徒がちどりの女学生をみるところ。

たぶん。
「笠岡商業」と「笠岡女学校」の時代からつづいていたのではなかろうか?
えいちゃん時代もそうだった。

商業の男子生徒は何人か、授業をさばってみていた。

いまのように垣根、フェンスそんなものなかった。それが無いだけ良い時代だったのか、今がわるい時代なのか。







笠高に残る唯ひとつの木造建物。それが↓、の詰め所。
笠高には理科や英語の教科別に詰め所があった。そのうち、この建物だけが残されている。







大久保通り。

先生も生徒もかならず通る道。




大久保通り、入り口。

イカサ鉄道くじば駅で降りた生徒はここで左折する。
そして町の人、国鉄通学の人、自転車の人がかたまって笠高へ通っていた。











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2004年5月9日