2004年3月20日  午前7:10ころ
井原市高屋町 高屋商店街


高屋の町にはいちど来たことがあるような、ないような。




あれはまだ昭和も30年になる前だろうか?
イカサ鉄道に乗ってホームに降りたことがある。

母が「ここは高屋じゃ。」、
その言葉だけを覚えている。

イカサの高屋駅から、それからどうした記憶はまったくない。だから、えいちゃんがまだ保育園児か、それ以前のことだろう。








そういうことで。
高屋の商店街を見るのはこれが50年ぶりかも知れないし、生まれてはじめてのことなのかもしれない。








いま、高屋には第三セクター井原線の駅がある。
イカサの時は「高屋駅」だった、いまは「子守唄の里高屋駅」というながったらしい駅名になっている。


「ウダツ」がある家があった。
門札には「大塚」。



そこから大きな石碑が見える、「池田公園」。
公園ははんぶんが石碑ではないかというくらい大きな石がどでーーーん。

高屋出身で立身出世した人。昭和6年ごろ建立となっていた。






商店街の民家の前に案内板があった。
上野家の家。
ここの主人が山田耕作氏に郷土に伝わる歌を披露して、山田氏がその歌を認めて正式に「子守唄」として認知された。
そういう説明文が上野邸の門の前にある。









昭和39年(1964年)といえば、いちも、にも・・・東京オリンピックのあった年。
えいちゃん笠岡高校1年生。

この年の歌に井沢八郎の「ああ、上野駅」」があった。
「ああ上野駅」は集団就職で東京へ就職した若者を歌った唄。

岡山県でいえば児島、そしてここ高屋。
九州などの中学校を卒業したばかりの女子工員がこの町に働いた。

女工さんたちは昼は働き、夜は井原市立高校へ勉学にがんばったり。

その時代は高屋がいちばん元気があったころ。
狭い路地を若い女性が歩いた。
でも、繊維の衰退でかつて社長さん宅であったろうと思える邸宅には廃家がぼちぼち。








国境。
備中と備後の国境。
左に見える石碑は大正8年に建てられたもの、広島・岡山の県境。

右手「渡辺ストア」の奥さんが開店前の準備をしていた。

「奥さん、お店は御領ですか?高屋ですか?」
「広島県になります。」
「じゃ、こちらの家は?」とすぐ隣の家を指差すと「高屋です。」




えいちゃんも県境の村に生まれ育ったが、隣の広島県大津野村に行くには山賊がでるという山を越さなければいけなかった。
ここはさすがに元・街道だ。









現在の高屋。
国道313号線は南に移り、4車線道路。


「夢タウン」「デオデオ」などのショッピングセンターがある。


「子守唄の里高屋」駅。
そのまえには華鶏美術館と駐車場がある。

今朝は市をしていた。

花と植木の市、定期市なんだろうか?

高屋の商店街は昔をとどめるが、あたらしい高屋は南側にひろがり道路は変化している。
車で通り抜けるだけでも標識に注意しないと駄目。
せっかく拡張工事しているのに不便だな。






つぎ・消渇神社








2004年3月20日